続・ツクラーとしての「終活」
2020年9月13日 ゲーム 昨日のツクラーとしての「終活」の続きになります。
思ってはいけない事だとは思うけれど、長い長い介護の末に亡くなった人を送った時、悲しいという気持ちとともにどこかほっとした、終わったという気持ちが少なからず湧く感じがします。それに重ねるのもどうかと思いますが、もし自分(夢幻台)がツクール制作を辞める時、「寂しい」という声以上に「ほっとした」という声の方が大きいとしたら…。このまま続けるのも考えものではあります。
皆さんの本心はどうなのか気にはなる所ですが、正直な結果を聞くのが怖いというのもあります。
思ってはいけない事だとは思うけれど、長い長い介護の末に亡くなった人を送った時、悲しいという気持ちとともにどこかほっとした、終わったという気持ちが少なからず湧く感じがします。それに重ねるのもどうかと思いますが、もし自分(夢幻台)がツクール制作を辞める時、「寂しい」という声以上に「ほっとした」という声の方が大きいとしたら…。このまま続けるのも考えものではあります。
皆さんの本心はどうなのか気にはなる所ですが、正直な結果を聞くのが怖いというのもあります。
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